読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

思い出てろてろ 小学生編

小学校に上がって本格的にサッカーをやりたいと思った僕は、地元クラブのユースチームに入ろうと決意します。そこに入ることができればプロサッカー選手への太いパイプができあがるほど、一握りの子しか合格できない組織でした。実はこのユースチームのコーチと僕の母の同級生が知り合いで、「なんだったら俺が口を利いて入れてやるよ」と持ちかけてきたのですが、後にそれが真っ赤な嘘だと分かります。何だったんだあの男は。母を口説くつもりだったんじゃないのか。

そんなわけで普通に入団テストを受けたのですが、子供ながらに周りとの実力の差に驚きました。当時小学校低学年の子供たちがリフティング100回は当然のこと、南米の選手がよく使うエラシコ(ドリブルの技)を当たり前のようにやる有り様でした。どこで覚えたんだエラシコ。パスやシュートのレベルも桁違いで僕は完全に場違いでした。無論その入団テストに落ちた僕は、「サッカー選手はおそらく無理だろう。サッカーはお遊びでやろう」と7歳にして渡米した数学者のような挫折を味わいました。

それでもサッカーは好きだったので、地域の誰でも入れるクラブチームに入りました。類は友を呼ぶと言いますが、穏やかな僕とは対照的な人物がそこの監督でした。練習中に水なしはもちろんのこと、当時すでに下火になっていたうさぎ跳びを実践し、「膝なんて壊れる時は壊れる」が口癖でした。彼の鬼神っぷりを最も象徴するのが、ヘディング練習で明らかに腹部を狙ってるとしか思えないセンタリングを上げ、うずくまる子供を前にして「立て、救急箱は俺が座ってる」と言い放ったことでした。もはや中世の悪政みたいになっていて、その頃からバスケに興味を持つようになりました。