思い出てろてろ 専門学校編

高校3年生になって漠然と大学進学を考えていた僕は、偶然テレビで見たクラブワールドカップで活躍するロナウジーニョの映像に衝撃を受けます。確かにブランクはありましたが、幼い頃からサッカーをやっていた僕から見て彼は輝いていました。「自分もこんなプレイがしたい」強くそう思った僕は、人づてにサッカーの専門学校の存在を知ることになります。なんかこのことは友達とかにもよくつっこまれるんですけど、中高サッカー部じゃなかったのにサッカーの専門学校に行ったのは、何よりもロナウジーニョのプレイに度肝を抜かれたのと、あと僕は高校時代放課後に友達と割とガチでサッカーやってて、そんなに真剣にやってたのに帰宅部とかどんだけ坊主嫌だったんだよって話ですけど、とにかく大学を蹴ってでも挑戦したいと強く感じていました。

その学校は実技試験があったので、受験勉強を放り出して必死で練習しました。少し勉強を始めてからの決意だったため、中途半端に弥生時代までの知識が詰め込まれました。そして会場は大きなピッチかと思いきや意外とフットサルコートだったセレクション当日を迎え、まず最初に全国の猛者たちが集結する更衣室で見た彼らのすね毛の量に圧倒されます。僕は同級生に比べて体毛が濃くてよく「エルモ」と呼ばれていたのですが、そんな僕の毛量をはるかに凌駕していました。というか処理しろよと思いました。そんな各地のセサミストリートファミリーが一堂に会した中で、僕は2得点の活躍を見せました。元来僕のプレイスタイルは高身長を生かしたポストプレイだったのですが、件のロナウジーニョの映像を見てからは「世界で通用する選手はやはりドリブラーだな」と確信していたので、その練習の成果が見事に実りました。サッカー選手をあきらめた今でも彼は僕の憧れの人です。こないだまた夜遊びしてたけど。

ここからは大きく運命に翻弄されるというか人生に行き詰まるんですけど、セレクションに合格して意気揚々と入学した僕はわずか三カ月で体調を崩します。これは未だに原因不明で、慢性的な疲労に突然襲われました。今はこうしてブログを書けるくらいには回復しましたが、当時は本当に辛かったです。なんで急に闘病記みたいになってんだと思うかもしれませんがこれが現実でした。結局この病気でサッカーはあきらめたんですが、ここが僕の人生の転機だったと思っています。

専門学校を休学し自宅でふさぎ込んでいた僕は、ネットで偶然大喜利サイトに出会いハマります。今でこそケータイ大喜利やIPPONグランプリなどで市民権を得た大喜利ですが、当時は学校の部活でいう生物部みたいな存在で、「なにあの人たち、隅の方でこそこそやってんの、気持ち悪い」というような有り様でした。ここで僕の人生が大きく方向転換し、お笑い一色に染まっていきます。この時は専門学校を休学中でとにかく時間があったので、ひたすら大喜利サイトに参加していました。もはやサッカーのことなど忘れている感がありますが、ロナウジーニョの輝くドリブルと前歯は今でも脳裏に焼きついています。大喜利を始めてしばらく経ったころ、いよいよ漫才やコントなどのいわゆるネタを書き始めます。およそ十代の頃には考えられなかった生き方ですが、鈴木史朗も六十代でバイオハザードにハマっていますし人生は何が起こるか分かりません。

この後はR-1グランプリに挑戦したり色々あるんですが、それは普通にタオルだけもらって帰ってきたので「思い出てろてろ」はこの辺で終わりです。体調は正直今もあまりよくないのですが、こうして好きなことは何とかできるので「Hope...」みたいな感じで終わろうと思います。このシリーズを始めた当初、知り合いの女の子に「てろてろってどういう意味?」と聞かれて「いわゆるてろてろしてる状態」としか答えられなかった自分が悔やまれますが、何とか完結できてよかったです。ではまた次の記事で。