砂のディフェンダー

東北のある地域では、子供を叱る時にしつけの中に愛を込めるために「この宝物が!」と言いながらお尻を叩くらしい。それは子供たちも理解していて、自分をかけがえのない存在だと思ってくれてる親に感謝しているらしい。最近この話を聞いて普通に「クソが」と言ってしまったくらいには心が荒んでいる。

僕は子供が苦手だ。彼らは思うがままに自分を表現する。僕は基本的に人と接している時に余裕がないので、彼らの突発的な感情の表現に驚いてしまう。病院へはバスで通っているのだけど、そこでいつもお母さんに連れられた幼稚園児くらいの子と一緒になる。僕は死角に人が居ると落ち着かない、前世が後ろから斬られた浪士じゃないかと思う思い癖があるので、バスはいつも一番後ろに座るのだけど、その親子も大抵後ろの席に座る。結構気持ち悪いけど隣で本を読んでるフリして親子の会話を聞いてると、やはり子供のエネルギッシュで突飛な言動に圧倒される。さっきまでアニメの話をしてたのに突然お母さんに抱きついたりするので、これ大人で許されるの鳥居みゆきくらいだなと思いながらいつも驚いている。

そんな僕にも懐いてくれてる子供がいる。公園で一緒にサッカーをする小学生たちだ。僕にはサッカーと大喜利を通して人と対話できるという切り札があり、その少ない手札で仲良くしてくれてるありがたい存在だ。しかしそこでも彼らの言動に驚かされることがしばしばある。ゴール前に寝転がってシュートコースを完全に消したり、試合時間が残り少なくなると今のシュートは10点分だと主張したりする。こないだはとうとう試合自体を放り出して両手に砂をつかみ、「砂嵐!」と叫びながらこっちに砂を投げてきた。彼らをどう諭せばいいか分からなかった僕は砂を受けながらドリブルすることしかできなかった。

自分の幼少期を思い返してみると、あまりにも感情を溜め込むタイプだった気がする。僕は小学2年生というそろそろアウトな時期におしっこを漏らしたことがあるのだけど、自分の尿意を担任に伝えることができず、掃除中にヒタヒタと床を濡らしながら持っていた雑巾でそれを拭く全く進行しない清掃をしていた。自分の中に感情を素直に表現した記憶がないので、今も率直にぶつかってくる子供が苦手なのかもしれない。あと保健室で替えてもらったパンツはごわごわしていた。

今後も子供とスムーズに接するのは無理だと思う。僕にできるのは、学校帰りにグリコをしてる小学生たちを無言で見守ることくらいだ。サッカーを通じて関われる子たちとは、これからもありがたく遊びたい。彼らは僕に無邪気でいることの素晴らしさを教えてくれる。ただたまに砂の中に石が混じってることがあるので、それは注意しようと思ってる。